ゴルフヒストリー

NICE ON 3月号【Vol. 449】


アメリカのゴルフブームの火付け役は、20歳のアマチュアだった。

1913年、ザ・カントリークラブで開かれた全米オープン(通称U.S. OPEN)は、20歳のアマチュア、フランシス・ウイメットが、10歳のキャディーを伴ない、全英オープンの覇者2人(ハリー・バートン、テッド・レイ)をプレーオフで破り、アマチュアとして最初の全米オープンを制した。このことが、当時ゴルフブームが押し寄せていた風潮に刺激を与えアメリカのゴルフの発展を形づくったといわれている。

さて全米オープンは、ゴルフのメジャー選手権の一つで、全米ゴルフ協会(USGA)が主催、1895年に創設された100年を超える歴史ある大会であり、また賞金総額は1250万ドルで世界最高額のゴルフトーナメントでもある。
その全米オープンのひとこまの歴史を振り返ってみよう。
毎年6月中旬に開催され、大会の順延がない限り父の日(6月の第3日曜日)を最終日とする基準がある。開催地区も毎年変えることでも知られるが、他のトーナメントがバーディー奪取に沸くのに対し、出場選手にひたすらパーを積み重ねることを求める厳しいコースセッティングでも毎回話題になる。今年の120回大会は、ウイングドフット・ゴルフクラブ・ウエストコース(ニューヨーク州)で開催される。
遡ること、1913年にアマチュアのフランシス・ウイメットが優勝してから100年目に当たる2013年の全米オープンの会場は、誰もがザ・カントリークラブを予測していたが、意外やメリオンゴルクラブ(ペンシルヴェニア)が選ばれた。
主催の全米ゴルフ協会は、50回大会も含め過去4回メリオンGCで開催しており、協会がメリオンGCにこだわる理由もみえてくる。ベンホーガンの歴史的復帰の舞台となったことや球聖といわれるボビー・ジョーンズが全米アマに優勝、夢のグランドスラムを達成、加えて、ジョーンズが14歳で全米アマに出場したのも、彼の全米アマ初優勝もこのメリオンGCが舞台だったのである。記念大会の価値観をどこに持っていくかは、国民性の違いもあり、それはそれで、アメリカらしいといえるのではなかろうか。

メリオンGCの開場は1912年。全米コース・ランキングでも常にベスト10入りする名コースだ。設計・建設を担当したのはヒュー・ウイルソン。世界コース・ランキングで常時1位にあるパインバレーゴルフクラブもウイルソンの作品だ。このコースの改修に手を加えたのは、ウイルソンの盟友ウイリアム・フリン。
フリンは、多くの設計家を育てている。ディック・ウイルソン、ウイリアム・ゴードンなどがそうだ。ゴードンは、芝の大家でもあった。フリンは、芝の管理にも力点を注ぎ、大学で教鞭を執るかたわら多くの文献も遺している。一世を風靡したベント芝「ペン・クロス」は、この大学の研究室から産まれたものだ。
ペン・クロスは、日本のゴルフ場のベント・グリーンで従来から多く使用され、国内ゴルフ場の70~80%がそれといわれる。今ではペン・クロスの後継として開発された最新型の
ニューベント芝に変えるところも多くなっている。
ゴルフ史に彩りを添える数々のエピソード。出来事であれ、人物であれ、その一面を俯瞰的に切り取ってみるのも楽しいものである。

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